最近、幸せのカタチってどういったものかを考えることがある。
私は1974年生まれの44歳、長嶋茂雄が引退した年に生まれた。団塊ジュニアと言われる世代。
高度成長期の後に生まれ、思春期はバブル景気だが、社会に出るときにはバブル崩壊、就職氷河期と言われた最初の年代、会社の先輩はバブル世代でイケイケ、という時代を生きてきた。
昭和生まれの幸せのカタチは、間違いなくお金。
いっぱい働いていっぱい稼いでいっぱい儲けて、イイ車乗ってイイ時計してイイ服着てイイモノ食ってイイおねーちゃんと遊ぶ。それが幸せ。
お金でステータスシンボルを買う。それが幸せ。
私もサラリーマンから独立、起業した時にはとにかく会社を大きくして儲けたい!と思って始めた。
社長になっていっぱい儲けてイイ暮らしがしたい!それが幸せ!
でも、最近それが幸せなのかなって思い始めた。実際いっぱい儲けてイイ暮らしをしているわけではないので、その感覚はわからないが、
お金があって、欲しいモノが買えたとしてもただそれだけ。
そして、また何か欲しくなり、お金を稼ぎ、そしてモノを買う。その繰り返し。
「世界一貧乏な大統領」、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領もリオ会議のスピーチで言っていた。
『貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。』
無限の消費と経済発展を続ければ幸せなのか?
なんか違うような。。。。
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