アートと芸術の価値観と重要性。
今なら誰でも知っている画家フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)。
彼の絵は生前1枚しか絵が売れなかったという話はあまりにも有名ですが、今では何億もの金額でやり取りされています。
アートや芸術の価値をお金に表すのは非常に難しいところですよね。
リスタイルにも毎日、芸術品ような、インテリア誌に必ず掲載されるような、たくさんのデザイナーズ家具が入荷してきます。
その中で「これなんでこんなに高いの?!」「これ、すごい安いね」などいろんな意見があります。
リスタイルは中古家具を売っていますので、定価があってないようなもの。
「高い」「安い」という意見が交わされること、それはとても素直な感想で、値段の意味はそれぞれの価値観や経験、感覚、製品のストーリーに左右されるので、わたしが10万円で買ったモノを誰かは0円でもいらないと言われるかもしれない。
でもそれでいいと思います。そのモノの価値はその人のもので。それでその人の心が豊かになって幸せになるのだから。
でもなぜこれがこの価格なのか。なぜこんなに評価されているのか。その時代背景や素材の良さを知ると、0円だったモノが一気に10万円になることもあります。
好きなモノは好きと言える自由な社会へ。
何十億も出して買うアート。そこにはどのような価値があるのでしょうか?
日本ではこのアートという分野に対しての可能性や価値が、世界よりまだまだ低いような気がします。もっともっとアートや芸術について家族や友達と話したり、表現したり、議論できる環境がこの国にもあるといいと思います。
そしてアーティストや芸術家がもっと評価されるべき。それをサポートしてくれる場や人や仕組みもあるべき。
誰かがそこに価値を見いだすことで需要と供給が生まれ、そのモノの価値となります。
そして、もっとみんなが恥ずかしがらずに自分が「好き」と思うモノをもっと自由に表現していいと感じます。そこには自分の価値観で選んだ何かがあるのですから。批判されても、気にしないくらいの勢いがあってもいい気がします。みんな何かに意見したい世の中ですから。それも自由。
子供の頃、感覚的に「あれが好き!」「これは嫌い」と自由に表現していた頃のように。忖度やカッコつけを無くして、もっと自由に意見が言える社会になれば、たくさんの意見が交わされて、きっともっとサスティナブルな社会になるのではないでしょうか?
誰も見たことのないモノづくりとアート的思考。
とてもファンの多いアップルApple社。アップルを愛用する人はアップル信者と呼ばれるほどアップル製品を評価する人が多いですよね。
デザインの高さから、芸術品のように評価されることも多いですが、
実は使ってみるとその凄さや、痒い所に手が届くユーザー視点に驚かされます。
スティーブ・ジョブズの凄さは今さら語らずとも多くの人に知られています。その発想力や実行力、人を巻き込む力や表現力の高さ、世界を変えたとも言われるプロダクトを次々と世の中に登場させました。
常にユーザー視点で発想するジョブズは、誰かに批判されようとも「これはいらない」「ムダだ」と不要だと思う機能を遠慮なくどんどんそぎ落としていきます。
電源のオン・オフボタンをなくしたり。キーボタンを削り、液晶のみのタッチパネル式にしたり。普通が普通じゃなくなること。
iPhone以降、タッチパネルを採用するスマートフォンが当たり前になり、キーが必須だと思っていた時代は完全に過去になり、当たり前のことが当たり前じゃなくなっていきました。もちろん彼を支えた多くの人がいたからできたことだとは思いますが。
ジョブズが、文字のアートであるカリグラフィーをプロダクトに活かしていたことは有名です。FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグの本社オフィスはウォールアートで埋め尽くされています。
世界的に偉業を成し遂げた人たちの多くが、アートの重要性を感じています。
iPhoneが登場するまで、私たちはキーボードがなくても文字を打ち込めること、これだけ多くの人がスマートフォンを必要とする時代が来ること自体想像していませんでした。
ピカソらがキュビスムを表現するまで、私たちは誰もが自由な描き方、世界の新しいとらえ方があることを知らなかった。
見たことがないもの、新しいものを、人は恐がって批判してしまいます。
どう感じてどう評価していいかわからないから。今まで通りの生活をしたほうが楽だから。否定した方が楽だから。多くの人がそうですよね。
わたしもどちらかというと、まだまだ新しいモノをスッと受け入れることができない安定志向の気がします。
でもその“恐がっていたもの”も時間が経つにつれていずれ“普通”になる。“慣れる”といってもいいかもしれません。そして多くの人が“普通”に使うようになる。
アートに限らずですが、今までないモノを表現したり作ったり、他人とは違うことを発言したりすることを、人は否定しやすい。前例がないので。
左脳でロジカルに考えることも重要ですが、右脳の感覚的な表現が加わることでもっとわたしたちの表現力や発想力が豊かになります。
先に挙げたように、ビジネスシーンでも活躍している人々は直感的な右脳型思考と、データや論理による左脳型思考のバランスをうまく取っています。
ロジカルに考えることも必要ですが、そこに少しアートの感覚や発想力が加わるともっと違う何かが生まれます。
アップル製品に説明書がないことも有名ですが、説明書がなくても感覚的にわかるような直感的なデザインとインターフェースがあったのでこれほどまでに多くの人の生活に溶け込んだのでしょう。
子供にスマートフォンを持たせると、あっという間に使い方を覚え、自分で楽しみ方を覚える。凝り固まった常識しかしらない私たちよりもはるかに早く直感的に。
この“感覚”で動けることが今後のモノづくりや行動にも必要ですね。
アートから学ぶ多様な価値観
自分が知らなかった価値観を知ることで、また自分の中に新しい何かが吸収され、物の捉え方がガラッと変わる。そこで生まれる新しい発想力によって世界を変える力になる(おおげさ?)こともあると思います。
先日、リスタイルのイベントスペースで春日井にある社会福祉法人 障害者支援施設養和荘の方々の展覧会がおこなわれました。
そちらの施設では、自閉症・知的障害を抱える人々が生活する中で、創作活動もしながら展覧会を精力的におこない活躍されています。
その純粋な芸術センスに驚かされ、人の可能性は無限だなと改めて感じました。
アートや芸術、音楽によって幸せになったり心が豊かになることを私たちは知っています。
アートや芸術は人の心を豊かにするだけでなく、生きがいにもつながっています。
アートと同じで大切なのはその人の価値観を「理解しよう」「向き合おう」と思う気持ちです。そのうえで「わからない」「つまらない」「嫌い」という感想をもつのは自然で普通のこと。
でもそういった経験をしていろんなことをだれかと語り合うことで、自身の考えを進めることはできる。そういった価値基準をアートや芸術が教えてくれる気もします。
表現力の場としての提供
日本人は、世界に比べてアートを買う人はまだまだ少ないですが、
アートを「体験」の一種として楽しむ人が増えている気がします。
毎年、美術館やアート展には毎年たくさんの人が訪れています。“モノ”より“コト”に価値を見出しているのでしょうか?
いずれにせよ、アートに触れる機会が増えるのはとてもいいことだと思います。
リスタイルは、姉妹店にレンタルスペース&スタジオのEditがあります。
今でも企業さんや美容師さんに定期的に貸し出しをおこなっていますが、もっと幅広い表現の可能性を。と考え、月曜日限定で、新しい形のコワーキングスペース“読書室”をオープンしています。
デザインやアート、暮らし、インテリアの書籍を置いて、学べる場として提供しています。
さらに考えているのが、この空間を、レンタルスタジオの空間と並行してアートや芸術の表現の場として活用したいと考えています。
アーティストや芸術を学んでいる学生や表現の場を欲している人達にもっと貢献したい。そこでたくさんの刺激が生まれることも期待して。また随時お知らせいたします。
小学生の時に、父に連れられて行ったゴッホ展。わたしは何か、はっきり言うことはできないけれど、そこでとても感動し、ゴッホが大好きになりました。その頃の記憶は今でもすごく鮮明で、アートの道に進みたいと思わせてくれるきっかけです。そしてその後、実際にアートや芸術を学んだことで、さらに芸術だけではない多くのことが経験でき、たくさんのことを学びました。
アートに限らず、様々な価値観は人それぞれですが、何か行動に起こすことも、何かをつくることも、そこに少しアート的な思考が加わることで劇的に変わることもあります。
その自由な発想で、世界を変える力を持つ人がもっともっと生まれますように。サスティナブルな社会実現ために。世界は大きく動き出しています。
(文:柴田)